きぶなくんの市場のお魚雑学ブログ(魚以外もあるよ!)
マグロの話 その2
2022-03-04
昔は不人気だった熱血の魚(その2)
さて前回のマグロの話の続きなわけでありますが、マグロがその昔、下の魚として扱われていた理由と今に至るまでを振り返っていきたいと思います。
因みにマグロの歴史に関しては本当に様々な説があるので、あくまで参考程度に読んでください。
日本人とマグロとの関わりについては諸説ありますが、宮城県や岩手県、福井県などにある貝塚からマグロ属の骨の一部が見つかっていることから、マグロは縄文時代から人々に食べられていたといわれています。
また、古事記や万葉集などでもマグロの事が記述されていますが、当時はマグロではなく『シビ』いう名前で呼ばれていました。古事記に収録されている歌の中に志毘臣(しびのおみ)と袁祁王(をけのみこ)の歌の掛け合いがあり、その最後に志毘臣(しびのおみ)の事を大魚(マグロ)に例えた歌を歌った事が、マグロがシビと呼ばれる由来とも言われています。(諸説あり)
このシビという名前もゆくゆくはマグロ不人気の一因にもなるわけですが、マグロはこの後江戸時代の中期までは食べられることはあっても、下の魚として扱われていました。
その理由として、鮮度の落ちが激しく味もすぐに変わってしまうことがあります。前回のブログで書いたようにマグロは自分で高体温を維持できる魚なので、冷凍技術のない時代は身の扱い方や輸送などに苦悩したと思われます。さらに干物にしても硬いなど加工しても使えないことが後押しとなり…マグロの人気は絶望的だったといいます。
その極めつけと言えば、江戸時代初期の見聞記『慶長見聞集』の25ページ目に…
『しびは味ひよからずとて地下の者もくらはず。侍衆は目にも見給はず。其上しびとよぶ聲(こえ)のひびき死日と聞こえて不吉なりとて祝儀などは名をも沙汰せず。』
…と、なかなかヒドい叩かれ方をされていたことがわかります。(因みに同ページより、マグロに近い魚であるカツオは勝男だ!…と言って侍衆に好まれていたようです。確かに死日と勝男じゃシビに勝ち目はありませんね。)
そんなシビにも転機が訪れます。野田や銚子で良質な醤油が量産された時代、その傍らでマグロのヅケが開発されたのです。そして江戸後期には江戸前寿司にヅケになったマグロが初登場したともいわれています。しかしヅケが開発されてもトロだけは捨てられていました。赤身よりも劣化が激しく、脂が多い為醤油がしみこみにくいからです。
しかしその後、大正12年の関東大震災が起きた頃に、マグロが大量に獲れた時期があります。大量のマグロはトロも含めて格安で売られ、お金の無い学生などに人気があったといいます。
その後、大正から昭和にかけて冷凍技術の発展や脂っこいものが好まれる『食の洋食化』などが後押しとなり、ようやくトロが脚光を浴びることになるのです。
以上が大雑把なマグロ日本史になります。
普段何気なく食べるマグロですが、その背景を知るとマグロを見る目も変わるのではないでしょうか?
栃木県民はマグロが大好きです!皆様もおいしいマグロをどんどん食べて健康になっちゃいましょう!